「わたし、イモムシじゃないから」星奈は、蝶に?

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短編小説 : 精霊たちのプシュケー

序章

7月の雨が止むとやがて初夏の風が吹く。木洩れ日から光は森に溢れ、精霊たちが踊り出す。

木の枝からしたたる雫が頬を濡らし、星奈は目を覚ました。

それほど長い眠りでもなかったが、ウサギの穴に落ちたアリスのような夢を回想していた。

あごひげをたっぷり蓄え赤い帽子を被った庭小人のノームが、キノコの傍らから顔を出した。

ノームは、この森の番人でもあった。白雪姫に登場する七人の小人と似たような、土の中で暮らす精霊の一種族だ。

別のノームも出てきて、ふたりのノームがおもちゃのピアノを運んできた。

ノームは星奈にピアノを弾いてくれとせがんだ。

星奈が、鍵盤を叩くように猫ふんじゃったを演奏すると、ふたりは手を取り合って楽しそうに踊った。

星奈はイモムシ、ときどき蝶々

森の大きな木の根っこに、星奈の居場所がある。クラスの中で中学受験をするのは自分だけで、何となく周りと話が合わない。楽しかったミニバスケも、チームメートと仲違いになって、やめた。ゲーム中のパス回しをなじられたことが原因だった。

いじめらているなと思うこともあるが。向こう側の奴らの自分たちなりも気にくわないので、勝負は五分五分ってとこかな。でも、ボッチなのは、やっぱり淋しい。

今日は、土曜日で、予定は夕方から予備校に通うだけ。時間は、午後3時を回っていた。

星奈のかたくなに閉ざされた心は、サナギの宇宙船に乗ってこの世を脱出する。カプセルの中でじっとしたまま、身体の細胞は溶けて、やがて、ブラックホールに飲み込まれて行く。

ブラックホールの中は、外から見えない。

「ママも、星奈のこと、よくわからないよ」

母親から、そんなふうに言われたことがあった。それって、意識はあるのに、身体を動かせず、誰にも気づいてもらえないってこと?

「多分、いわゆる、閉じこもりですね」

心理カウンセラーの声が聞こえた。

でも、見晴らしのいい場所から、何が見えるのだろうか?ブラックホールに飲まれているのではなく、星奈の中に、ブラックホールがあるのかもしれない。

虚無の世界。あるいは、それが宇宙なのかもしれない。いや、宇宙そのもののはずだ。

「星奈・・・」

森の大きな木の下で、眠りこけた星奈を、誰かが揺り起こした。星奈は自分が飼うぬいぐるのように抱き着いた。

「いやぁ!」

星奈が目を開けると、1メートルくらいの巨体を波打たせた緑黄色のイモムシが寝そべっていた。それがイモムシだと分かるのはむつかしかったが、星奈も図鑑では見たことはある。

「わたしは、イモムシ。ペッ、ぺっ、キノコは、まずいねぇ」 と、イモムシ。

「えっ?」と、はてな?の星奈は、首をかしげた。それにかまわず、イモムシは話を続けた。

「わたしはイモムシ、だけど、次はサナギになる。そして、美しい蝶になる。わたしは、アゲハ蝶。あなたは?」

何となく、おネイっぽい喋り方に、星奈はクスッと笑った。触覚のそばにある6個の目がクルクル回っておもちゃのようだ。あれっ?わたし、笑ってる?

「わたし、イモムシじゃないから・・・」

「そぉ?あら、ごめんなさい、あなたはサナギだから、わたしより年長ね」

「はぁ!?冗談は、やめてください」

「いづれにしても、あなたはやがて蝶になる。今は、殻の中で、不完全で壊れたりしているあなた自身も、しばらくすればヘンタイする」

「えぇ、変態ですか1?」

「ごめんなさい、たいへん失礼しました。ちゃんと、オトナになれるはず」

「ちゃんとしたオトナって、何ですか?蝶には、なってみたいけど」

「オトナはね、ハッと我に帰るのよ。逆に言えば、他人と自分を区別できるってこと。そこに、愛の本質がある」

「12歳に、テツガクはムツカシイ?イモムシさん・・・んっ?あれ?なんだか、大きく背伸びがしたい・・・」

星奈がそう思った瞬間、自分を覆っていた殻が割れた。殻が割れると、蝶の羽はみるみる大きく成長していった。

殻の中の小さな生が、またひとつ木漏れ日が溢れるこの森の中から、羽ばたいて行った。