見えない世界の旅 第3話

ESSAYS

海を見ていた午後

『海を見ていた午後』は、松任谷由美さんの楽曲タイトルです。その歌詞フレーズに、「ソーダ水の中を貨物船がとおる」という表現があります。

東京湾根岸に実在する静かなレストランの日常で描かれた、ある意味、形而上学的絵画のようだと、ぼくは思っています。つまり、形而上学的にセンスがいい。ポップアートで有名なアンディ・ウォーホルも形而上学絵画に、影響を受けています。

ありえない、ヘンテコな絵画という一面もありますが、非凡な発想は、ありきたりの主観とは異なります。それから、非日常的なシュールレアリスムとも違います。

形而上とは、ある現象世界の上、あるいは奥にあるものです。そこからは、他を必要とせず、一方で他が必要とする究極的なものだけど、形を持たないものでもあります。

神は存在するのかとか、人はなぜ存在するのだろうかとか、これと言った形とか答えはありません。これと言った形や答えがないと、人は不安になると、ぼくは思います。

だけど、人はなぜ存在するのだろうか?なんて、ほとんどの人は考えてはいませんし、神の軌跡や恩恵を、ほとんどの人はすぐに忘れるものです。

そういう意味で、人は自由なのだと、ぼくは思います。

『海を見ていた午後』の歌詞は、「ソーダ水の中を貨物船がとおる。小さなアワも恋のように消えていった」と続きます。イマヌエル・カントの言った自由も小さなアワのようなのかもしれません。その恋は、あなたでもよかったし、あなたでなくてもよかった。どんな恋も、遠いあの日になるのだから。

でも、あなたに恋をしてよかったと言える恋を、ぼくはしたい。