命は、贈り物なのか?

ESSAYS

フラワーベッドの小さな息

人は、どこにもない場所に行けるのか?という質問に対して、どこにもないのだから、行けない?

ユートピアであっても、デストピアであっても、ブラックホールの果てであっても、ぼくたちの想像力は、どこにもない場所は想像できない。

例えば、ぼくたちは生まれる前に、自分が生まれ落ちる世界を想像できただろうか?胎内で母の子守唄や、家族の声を聞いたかもしれないが、そこがどこかは分からない。

生まれた時、人は母の大きな愛に包まれる。その時、あなたの命は、きっと家族への贈り物でもあるはずだ。

やがて、命である生は絶えず変化し、わたしたちに語りかける。そして、命は、感情である苦しみを生む。

苦しみは、自らの存在、真実でもあり、自らの命に語りかけてくる。それは、感受性になる。

ある命は、ふと、自分の命を断とうと思う瞬間があるかもしれない。生きる意味の思考回路が突然、ショートしたり、壊れたりするのかもしれないし、突然、天使の羽が生えるのかもしれない。

ある詩人は、「死に対して怒りの感情を持つのは、まだやるべきことがあり、愛する人がいて、言うべき言葉があるからだ」と言った。

2つめの理由、「愛する人がいて・・・」 そこにあなたがいないことの強い悲しみは、わからない人には、わからないのかもしれない。

わたしは、誰からの誰への贈り物だったのだろうか?